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◎【沿線散歩】赤塚周辺(板橋) 均整な姿の大仏と、武蔵野の面影漂う植物園

 成増駅から北東へ徒歩二十分で乗蓮寺に着く(下赤塚駅から北へ歩いてもほぼ同じ所要時間)。その境内に露天で鎮座しているのが、高さ十三メートルの均整のとれた美しい姿の通称、東京大仏だ。三十二トンの青銅製。奈良、鎌倉の大仏とともに日本三大仏に数えられることも少なくない。

 鎌倉の大仏と同じ阿弥陀如来像で、一九七七年の完成。戦災や天災の犠牲者を供養し、平和を祈って建立されたという。

 この九月の休日、久しぶりに再訪してみると、境内で売っている「大仏せんこう」(一束百円)を握りしめて、無心に祈る来訪者の姿が印象的だった。「新東京百景」の一つに選ばれているが、新興の観光スポットを超え、大衆的な信仰の拠点として浸透しているようだ。

 周辺の赤塚地区(旧赤塚村)は、散歩に向いた見所が多い。板橋区と同区観光協会が発行する「自然と歴史と文化の里・赤塚」と題した散歩マップには、戦国時代の赤塚城址や東京大仏など九カ所が写真・解説入りで紹介されている。

 その一つ、東京大仏の南側にある区立赤塚植物園は、武蔵野の面影を残す丘陵地をうまく活用している。

 色鮮やかな花壇の先には、コナラ、クヌギなどの武蔵野に多い樹木が並び、桜の園、バラ園、梅林などのゾーンが展開する。樹木や草花の種類は約六百二十に及ぶ。  
中にある芝生広場のベンチから、勢いの良いケヤキの大木を眺めていると、実にすがすがしい。

 近くには古刹、松月院もある。江戸末期の一八四一年、高島秋帆が当時、徳丸原(とくまるがはら)と呼ばれていた、今の高島平(秋帆にちなんだ命名)にて、日本で初の西洋式砲術訓練を行ったときの本陣となった寺で、砲身や砲弾を模した高島秋帆の顕彰碑もある。

 秋帆は日本陸軍の父とも言われるそうだが、板橋区には戦前、陸軍の兵器工場があり、軍需産業が発達した。戦後の光学機器産業につながった面もあるが、戦時中は空襲の標的となり、多くの犠牲者を出した。松月院から北へ徒歩十分のところにある区立郷土資料館の視覚的な展示は、東京郊外ののどかな里が、歴史の荒波に翻弄されてきたことを教えてくれる。
(志木市在住 周防洋)

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