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◎【沿線散歩】水子(富士見市) 静謐な貝塚公園、周りは湧水の里

 みずほ台駅東口から北東へ伸びる銀杏の並木道を経て、徒歩十五分で、水子貝塚公園に着く。水子は地名で、縄文時代の貝塚の密集地を整備した公園(国史跡に指定)である。

 都会の喧騒と隔絶した、静謐な空間だ。海のない埼玉県に貝塚があったのか、と驚く人も少なくないだろう。広々とした原っぱには、貝塚になった竪穴住居が復元され、いくつも並んでいる。

 開園は一九九四年で、広さは四万平方メートル。 
 復元された竪穴住居は五軒だが(ほかに骨組みの復元が2軒)、縄文人が食べた貝の殻が住居跡に捨てられた貝塚(地点貝塚と呼ばれる)が約六十カ所もドーナツ状に分布する。土の下にあるのだが、点在する円形の白いエリアが場所を示す。

 貝が捨てられていないケースも含めると百軒くらいの住居跡があると推定されている。もっとも、百軒の集落があったわけではなく、五‐十軒の集落があり、広場を中心に建て替えを繰り返していった跡だという。

 休日には、ピクニック気分で訪れる子供連れが多い。原っぱの周りには約五百八十メートルの園路があり、ウォーキングに励む年配者が目につく。

 園路沿いには、縄文時代のムラを囲んでいたコナラ、クヌギ、アラカシなどの木々を中心に「縄文の森」が復元されている。森林浴気分で散歩をすると心地よい。

 この貝塚の発掘、保存の経緯は、本紙第五号(平成十九年九月)で、考古学者の小泉功さんが述懐されているが、公園内の展示館で、住居跡の複製や出土品を見たり、映像による解説を視聴したりすると、縄文人の生活ぶりが思い浮かぶ。

 展示されている当時の地形の模型は、水子貝塚のそばまで海だったことを教えてくれる。食料の貝が多く採れたのだ。

 ところで、水子周辺は昔から湧水が各所にあり、水子という地名も「水が湧き出るところ」という意味の「水処(みずこ)」に由来するとの説がある。

 水子貝塚から南に約一キロの場所にある、通称どんぐり山(石井緑地公園)や、その近くの性蓮寺境内、中世の鎌倉道跡の弁財天などに清らかな湧水が今もある。武蔵野台地を柳瀬川が削った斜面にあり、雑木林も多い。貝塚は、いわば湧水の里の中にあった。いずれも、自然の恵みを多く感じさせてくれる。
(志木市在住 周防洋)

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