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安さんの鉄博通信 >> No.14 おかげさまで2周年、初代新幹線車両(O系)が待望の公開です

おかげさまで2周年、初代新幹線車両(O系)が待望の公開です

早いもので、鉄道博物館は去る10月14日の鉄道記念日で開館2周年を迎えました。
   開館当初から皆様の絶大なご支持をいただき、10月19日には累計来館者数が300万人に達しました。期待と不安のもと、大勢のお客様に押し流されそうだった日々が夢のようです。
   9月の連休過ぎからは比較的ゆっくりご覧になれる日が続いております。今回は2周年の目玉である0系新幹線車両の公開の様子などを主体に、近況をご報告します。

「0系」とは最初からの呼び方ではありません

1964年の東海道新幹線開業時の車両呼称は、例えば先頭車は大阪側が21形式、東京側が22形式と言う様に個々に表現され、系列全体の呼称は有りませんでした。いずれ次期モデルが登場するとしても、2桁の形式なのか3桁となるのかが決まっていた訳ではありません。
   後に1985年登場の東海道用次期車両で先頭車が121形式と122形式となったこと、それに先立って1982年の東北、上越新幹線開業時に新シリーズの先頭車が221形式と222形式で登場しておりました。
   新系列をそれぞれ100系車両、200系車両と便宜上から呼んだことから初期車両は形式番号の100の位が無いので、ついでに0系と呼ばれ始めたようです。

寄贈されたとはいえ、公開までの費用は (?) 億円かかりました

展示車両の「21形式2号車」はJR西日本から昨年に寄贈されたものです。大阪の社員研修センターに保存されておりましたが、長らく屋外に置かれていたため車体の劣化が進んでいました。
   大阪から大宮まで三日がかりでトレーラー輸送した費用、その後大宮総合車両センター(旧大宮工場)で1年近くを要して補修と化粧直した費用、鉄道博物館に展示室を増設して搬入、設置するまでの総額は軽く「億」の単位となっています。
   世界の鉄道高速化のきっかけを作った歴史的な車両を日本の文化遺産としても後世に伝えるため、最高レベルの保存と展示ができました。ピカピカの「団子っ鼻」がお待ちしています。

当時の東京駅新幹線ホーム

車両の進行方向(先頭に向かって)右側には当時の東京駅19番線ホームも再現されました。発車案内のボード、字幕などが入念な時代考証に基づき正確に作られています。
   車内の反対側の車窓からは、当時の新幹線列車や風景などの大型カラー写真が見られます。また一部の窓には、新幹線の開発から試作、試運転などの記録映像のモニターがはめ込まれています。座席に座るとなかなか立ち上がれないほどです。

広軌鉄道という夢の実現まで

レール巾1,067ミリでスタートした日本の鉄道を1,435ミリの広軌(標準軌)に改築する提案は、実は明治の中期から始まっています。二転三転した挫折の経過、軍需輸送のための弾丸列車の計画まで、新幹線実現までの長い歴史が壁面一杯に紹介されています。
   公開直後は立ち止まって見られない時間帯もありましたが、数日で落ち着きました。夢の鉄道が開通した当時の列車ダイヤ、料金など記念すべきデータが一層輝いて見えます。

記念映画の上映

公開にちなんで「東海道新幹線総集編」の記録映画も上映されています。試験線の建設に始まり、各種のテスト、車両構造の解説まで技術的内容も豊富な見ごたえの有る作品です。当館の映画としては上映時間51分と言う長編になりますが、制作当時(昭和44年)に完全にタイムスリップさせられます。新築された0系展示棟からは少々遠い位置になりますが、ノースウイングの映像ホールまでお運び下さい。11月30日までの上映予定です。

2009/10/24   鉄道博物館ボランティア   安川彰一