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安さんの鉄博通信 >> No.32 北海道新幹線開業記念展「海を航る」が始まりました

北海道新幹線開業記念展「海を航る」が始まりました

北海道新幹線の開業がいよいよ今月26日にせまりました。
  鉄道が海を越えることは、古くは関門海底トンネル(昭和17年)をはじめ、山陽新幹線や本州四国連絡橋が有りますが、新たに新幹線が通る青函トンネルは延長50キロを超える規模のみならず、明治時代から80年以上にわたった青函連絡船の苦難の歴史など他の区間とは比べものにならない重みがあります。
  鉄道博物館では北海道新幹線の開業に先立ち、北海道と本州を結ぶ交通の長い歴史を振り返る記念展を開催しております。6月26日(日)までの会期です、どうぞお出かけ下さい。

青函連絡船の貴重な記録に圧倒されます

  • 明治初期、北海道に「開拓使庁」が置かれたころからの物語があります。本州との定期航路は明治6年(1873年)に始まりました。
  • 東京から青森までの鉄道の開通と北海道側の鉄道網の発達により、青函航路は鉄道の一部とし  ての必要性が高まり、明治41年(1908年)に鉄道連絡船として開設されました。
  • 増加の一途をたどる輸送量、特に旅客よりも貨物の輸送量が急上昇し、貨物専用船が続々と就航することとなり船舶数でも約半数におよび、旅客との兼用船を加えると青函航路は「貨物航路」とも言えるほどでした。
  • 鉄道は、もちろん陸上でも貨物輸送が有ってこそ発展し、経営が安定するものです。
  • 船舶の珍しい写真に大発見です。ドック入りの際の船底の様子、接岸時に船尾を左右に振る推進スクリユー、横揺れ防止の水中翼などなど・・・納得ができます。
  • 艀(はしけ)、控車(ひかえしゃ)  いずれも貨車を連絡船に積み込む時に工夫されたものです。「艀」は貨車ごと連絡船に積込むようになった当初、小舟に数両の貨車を載せて貨物船と地上を往復したものです。ずいぶん危ないことをやっていました。
    「控車」は後に岸壁からレールをつないで貨車を直接に船倉へ押し込む時に重い機関車が船に乗らなくて済むように中間に連結された専用の空車のことです。
  • 連絡船時代のなつかしい画像、音声ですっかりタイムスリップできます。連絡船世代 ? にはたまりません。「船の科学館」(東京)とは一味違った鉄道視点で連絡船が楽しめます。

青函トンネルの時代

  • 台風による重大海難事故(昭和29年)で海底トンネル構想と建設の機運が高まりました。
  • 当初から新幹線を通す前提でした。着工後も石油ショックによる輸送量の低迷、航空機やフェリーの発達で鉄道トンネルの見直し論などの影響で工事が停滞した期間もありました。
  • 新幹線開業までは暫定的に在来線を通す条件で完成させる目途がつきました。
  • 昭和63年から28年の長きにわたり数々の名列車も通い、鉄道史に残る大事業となりました。
  • 新幹線開業により青函トンネルは第2ステージに移りますが、それでも在来線貨物列車と兼用となることが特筆すべきことです。
  • 「貨物輸送有っての鉄道」と言うことが強烈にアピールされた訳です。地上区間の在来線分岐点の構造、将来のスピードアップのためトンネル区間の新幹線貨物列車構想など貨車ファンでなくても興味が尽きません。
  • 初期の直通列車や北海道内の代表列車等の走行映像は、現在のように動画の撮影が簡単にできる時代と違い珍しいものです。キハ82型式など当時の道内特急列車の走行画像にくぎずけの青函トンネル世代 ? もおられます。

新幹線時代

  • 開業の期待がいよいよ高まります。

2016/03/09  鉄道博物館ボランティア  安川彰一