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いたま市伝統産業とは

さいたま市では、「岩槻の人形」「大宮の盆栽」「浦和のうなぎ」をさいたま市の伝統産業に指定しています。

岩槻の人形

岩槻の人形

発祥の経緯及び指定理由

文政13年(1830年)に奉納された岩槻区仲町1丁目にある秋葉神社の常夜灯の台石には、「雛屋幸蔵」という名前が刻まれている。また、武蔵一宮氷川神社の社家日記(東角井文書)天保5年(1834年)の項にも、岩槻で「雛一対」を「代金弐分」で購入という記載がある。

市内では現在でも岩槻区を中心として、江戸時代以来の手しごとの伝統的技術により人形を製造する事業所が集積している。また、平成19年3月には、「岩槻人形」が経済産業大臣から伝統的工芸品に指定されている。

岩槻の人形については、ひな祭りや様々なイベントを通して、広く市民に親しまれる存在となっている。

大宮の盆栽

大宮の盆栽

発祥の経緯及び指定理由

江戸の町で流行した盆栽は、今の台東区、文京区に盆栽職人が集積していた。「大宮盆栽村」は関東大震災で被災した東京の盆栽職人が、盆栽の栽培に適した広い土地、新鮮な水と空気を求めて集団で移り住み、大正14年(1925年)に誕生した。現在、盆栽は世界に広まり、「BONSAI」という言葉は世界の共通語となっている。

市内では現在でも北区を中心として、江戸時代以来の手しごとの伝統的技術により盆栽造りを営む盆栽園が集積し活動している。

また、旧大宮市に編入されてからは、行政上の「盆栽町」という町名になったほか、周辺の案内看板等にも多用されており、市民にも広く親しまれている。

浦和のうなぎ

浦和のうなぎ

発祥の経緯及び指定理由

県立文書館収蔵「会田真言文書」(江戸後期の古文書)には浦和から江戸赤坂の紀州藩邸にうなぎを献上していたことが記されているほか、「浦和宿絵図」(弘化年間・1844〜48年)に「蒲焼商」の名が記載され、江戸時代以来、浦和の名物として市民や来訪者に親しまれている。

市内では現在でも浦和区を中心として、江戸時代以来の「裂き」「串打ち」「焼き」「たれ」などの手しごとの伝統的技術を継承する老舗が集積して活動している。

いたま市伝統産業事業所とは

さいたま市では、さいたま市伝統産業である「岩槻の人形」「大宮の盆栽」「浦和のうなぎ」といった伝統産業に属する事業所のほか、伝統的な工芸技術を継承する事業所、地域の特性と深い関係のある事業所を、さいたま市伝統産業事業所として認定しています。

伝統産業に属する事業所

岩槻の人形

岩槻の人形

城下町として、また日光御成道の宿場町として賑わった岩槻に、日光東照宮の造営、修築にあたった工匠が、そのまま足をとどめました。

岩槻周辺は昔から桐の産地で、箪笥や下駄などの桐細工が盛んでした。工匠は、この桐の粉を糊と練り固め、これに水でといた胡粉を塗りました。するととても発色がよく、岩槻の水が胡粉に適していることを発見したのでした。これが、岩槻人形の起こりだと伝えられています。

大宮の盆栽

大宮の盆栽

盆栽は、時間・空間と山水の景を表現し、自然にある姿以上の美しさを求めていく、日本の伝統的な芸術であります。そこには、四季の移り変わりに対する豊かな感性と、生命に対する心の優しさや美的感覚が凝縮されています。

長い歴史を育んできた盆栽は、海外でも高い評価を受け、現在は日本の文化として、BONSAIという国際語に定着しました。大宮の盆栽村は、世界の盆栽のメッカとして、海外からも多くの愛好家が訪れています。

浦和のうなぎ

浦和のうなぎ

浦和周辺は川や沼地が多く、うなぎの生息に非常に適していました。

江戸時代、たくさん獲れるうなぎを中山道を行き交う人々に出して評判になったのが浦和のうなぎの始りといわれています。

生産地としての漁場が無数にあり、宿場町という消費地と直結していたことが、広く世に広まる上で大きな要因となりました。

伝統的な工芸技術を継承する事業所

伝統的な工芸技術を継承する事業所

さいたま市では、「岩槻の人形」のような集積は無いものの、お宮や組紐など江戸文化の影響を受けた伝統的工芸技術を継承する事業所を、「伝統的な工芸技術を継承する事業所」として指定しました。

地域の特性と深い関連のある事業所

地域の特性と深い関連のある事業所

さいたま市では、荒川や元荒川などの自然環境、中山道の宿場町などの地理的条件により発祥、定着した老舗といわれる事業所を、「地域の特性と深い関連のある事業所」として指定しました。