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全日本レーサーから家業の継承へ(株)えのきトーヨー住器 代表取締役社長 榎本広行

意外な経歴に取材者もびっくり

   今回の取材で先に感想が出てくるのがおかしいかもしれませんが、カン○リア宮殿みたいな波乱万丈なお話が聞けました。
 えのきトーヨー住器の榎本さんは中部地区会の岡部千里氏との仕事上のつながりから同友会に入会されました。その紹介者の岡部さんも知らなかった事実が…。なんと元全日本レーサーだったのです。あの誰でも知っているF3やツーリングカーのレーサーでした。高校時代からモータースポーツに興味を持ち、先輩に誘われていつの間にかレース界へ。

借金からの華やかな転向

学校を卒業後、一度会社員になるが、夢をあきらめきれない榎本さんは20代でなんと借金2500万円をしてレースに注ぐ。努力の甲斐あって23歳の時にはレース一本で食べられるようになり、借金を1年で返済。億単位のスポンサーもつくようになり、タイヤメーカーの開発に関わる仕事にも展開し、年収も相当な数字になったそうです。数々の優勝や賞金など華やかな人生を送った20代でした。

対照的な世界の父親が気がかりに

そんなときレース界へ入ることを反対していた父の実家へたびたび顔を出すようになり、父が経営していた工務店が気になりはじめていました。というのも、華やかな生活を送る自分とは逆に父の背中が淋しそうに見えたのです。職人一筋で意思が強く、まじめにコツコツ仕事を積み上げてきた父親。そのころ榎本さんは27歳した。レースで世界を目指し、海外のレースにも参戦したが資金や環境が今のレース界ほど整っていなかったのです。弟も家業を手伝ってはいるが父親の仕事を盛り上げられるか心配で仕方がありませんでした。
 

新しい戦略が功を奏する

   榎本さんはステアリングの舵から、経営の舵をとることを決意した。今まで、自分をここまで育ててもらった父親や家族、従業員に対して恩返しの使命に燃えた。
父の仕事ぶりはマジメで県内でも評判のよい仕事だったが、営業面では弱かったのです。
そこで榎本さんは工務店などに商材を販売するだけでは先がないと判断し、工務店にいろいろなサポートを提案する方針に変えました。仲間数社と勉強会を実施してDMを作成したり、リフォームした家でオープンハウスの見学会を実施したりするなどあらゆる戦略を練り、お客様、自社、協力業者がWIN−WINになるように成果を出してきました。今の組織ができあがるまでには、考え方や意見の食い違いなど様々な苦労があったそうです。そこで経営理念を「共に考え工夫し 共に喜び分かち合う」として、全社員に教育をしてきた。少しづつ意識を高めて少しでもお客様・パートナーにお役に立てるように、そこに喜びを感じられるように。

レース時代の人脈も強み

   榎本さんは今でもレース時代の仲間や恩師と交流を持ち、その中には名の知れた企業の重役もいて、「社会貢献する規模まで会社を伸ばせ」などと本音で提言する先輩もいるくらい経営者にしてはうらやましい交友関係だそうです。
休日もとらず毎日を仕事に全速力で駆けている榎本さんは、たぶんレース時代もこんな感じで走り抜けていたのでは、と感じさせるくらいアクセル全開の社長ぶりでした。
(取材中部地区会 中村有史・岡部千里)

会社概要

 (株)えのきトーヨー住器
 代表取締役社長 榎本広行(えのもとひろゆき)
川越市小中居985-1 
TEL:049-235-0127 FAX:049-235-0121
URL http://www.enoki-group.com/toyo/index.html  

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