東上沿線物語
 
 

【沿線散歩】東松山箭弓稲荷  野球や芸道の祈願で人気、杜の中に粋な雰囲気も

2010/01/21配信  提供:東上沿線新聞

【沿線散歩】東松山箭弓稲荷  野球や芸道の祈願で人気、杜の中に粋な雰囲気も
 比企地方の拠点都市、東松山市の玄関口にある東松山駅。二〇〇八年六月に竣工した東口の新駅舎はステーションビルという名称ながら、昔の洋館のイメージを取り入れたレトロモダンな外観(外観は三階、中は二階)が目をひく。

 東口を降りて北へ向かえば、市内で最もにぎわいのある商店街「ぼたん通り」があり、周辺には東松山名物のヤキトリの店も目につく。しかし今回は、東松山駅西口から徒歩数分にある、古来有名な箭弓(やきゅう)稲荷神社を初参拝、興味を覚えた点を取り上げる。

 箭は矢と同じ訓で同じ意味だが、辞書によると、昔、中国の函谷関より東では矢(し)、西では箭(せん)と言った。それはともかく、野球と同じ発音であることから野球好き子供たちの必勝祈願も多い。神社側でも、〇八年正月から、バットやベースの形をした「野球絵馬」(五百円)の授与を始め、好評を得ている。

 和銅五年(七一二年)創建とされるが、もともとの字は「野久」で、このあたりを野久ケ原と呼んだ。

 神社が配布しているパンフレット「御由緒」によると、平安時代に関東で平忠常が謀反を起こし、源頼信がその追討に来た際に、この地で夜を徹して戦勝祈願をした。すると、「明け行く空に箭(矢)の形をした白雲がにわかに現れ、その箭は敵を射るかのように飛んで行」った。頼信は、この戦いに勝ち、勝利は神威によるもと喜び、社殿の建て替えを寄進するとともに、野久稲荷を箭弓稲荷と改名するように里人に命じたという。

 最も隆盛をきわめたのは、江戸時代で、江戸(東京)からの参拝客も多かった。その一人、七代目市川團十郎が、芸道精進などを祈願したところ、江戸の柳盛座での新春歌舞伎興行が毎日札止めの盛況に。感謝した團十郎は、文政四年(一八二一年)に境内に、石造りの祠を建立した。その祠のある末社は、團十郎稲荷と呼ばれ、芸道向上の神様として人気がある。杜の中でこじんまり構える團十郎稲荷には、粋な雰囲気が漂う。

 同神社の社殿は天保六年(一八三五年)に造られた権現造り。外側の壁に組み込まれた木彫も凝ったものが多く、風流な趣向だ。

 境内の西側にある牡丹園は整然としている。大正十二年(一九二三年)、東武東上線坂戸・東松山間の延線が竣工したことを祝して、東武鉄道初代社長の根津嘉一郎氏が牡丹、藤、松を寄贈したのが始まりで、丹精こめた管理が奏功して名声を高め、東松山市はぼたんを「市の花」に指定している。約三千五百平方メートルの園内に千三百株の牡丹があり、四月中旬に咲き誇る。
(志木市在住 周防洋)

最終更新:2010年1月22日(金) 11:07:10

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箭弓稲荷神社
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県西
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東松山市
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指定なし

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